僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・
小さな部屋の真ん中にコタツがあり、南側の廊下から障子を開けて出入りする。
他の三方が壁の四畳半で、壁に沿って茶ダンスと小引き出し付いた古い棚のようなものがある。
東の壁にある小さなガラス窓からは、熟れた実を幾つか残した柿の木が見える。
その柿木の細枝に小鳥がとまり、あたりを窺っているようだ。
コタツの天板には、今年の正月に届いた年賀状がいっぱい並べてある。
そろそろ年賀状の用意を始めようと、引き出しから出して来た。
並べた年賀状を手に取っては、この人は何をしているだろうと考えて時間が経つ。
年賀状をくれたすべての人ではないが、それぞれに思い出がある。
あんがい人の思い出とは、何かの品物である事が多い。
誰とどこへ行ったのか、誰と何をしたのかは、キーホルダーや人形などであったりする。
写真もあるが、たいがいは引き出しの奥に、あるいは積み重なったアルバムに仕舞われてしまう。
そして数年間は再び見る事もなく、ひっそりと置かれる。
移ろい行く時間の一瞬を切り取り、再び見る事があるのか知れない写真。
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僕はほとんど写真を撮らない、もちろん自分の写真は自分で撮りようがないし。
写真機も高価であるから、持っていない。
いつの頃からか、思い出は自分の心の中だけで良いと考えるようになっていた。
そして忘れてしまったのなら、その思い出はそれまでであると。
記念に買ったキーホルダーも、土産にもらった人形も。
身近に使ったり、飾っているうちは思い出がよみがえる。
それらも、何年か経ち壊れたり煤けて捨てる日が来るかもしれない。
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四畳半の部屋の茶ダンスの上に、ゴチャゴチャと土産の飾り物が並んでいる。
縁起物の熊手や、エビスが釣竿と鯛を持った飾りまである。
一刀彫のなにやら、寄木細工の箱には古い手紙が入っているようだ。
話を聞けば、覚えている事もあれば思い出せない話もある。
そういうものだろうなぁと、僕は思った・・・