このところ、テンプレートに少し係わっている。
テンプレートは、けっして10枚の皿のことではない。
ようするに、なんだな・・・
ひな形の事だが、これも雛形あきこ、ではない。
それでは何なのかと言うと、落雁を作る木型のようなもの。
ますます、分からなくなって来たな。
落雁、これは雁だな、カモだな、よくわからない。
きっと、飛んでいた雁が落っこちてきて。
焼いて食べたら旨かったので、それに似せた菓子を作ったのだろう。
大昔の事だから、材料はロクな物がない。
手近かにあるのは、年貢に取られて米のカスばかり。
すっかり粉になった米に、アマズルから採った甘味を加えて・・・
手で形を整えようとしても、ボロボロで崩れてしまう。
そこで、柄が折れた杓子があったので、それを使ってググッと押し固めた。
今度は粉が上手くまとまったので、この方法で米の粉を使った菓子を作る事にした。
近所の者が真似をして作り始めたが、ある貧乏な男は傷んで穴のあいた杓子を使った。
すると、どうだろう・・・
杓子の穴がギザギザになっていたので、ちょうど紅葉のような形をした菓子が出来た。
これは珍しいと近所で評判になり、大工仕事をしている「かじ」という者が板を削って抜き型を作った。
たぶん、初めは丸いものとか簡単な形であったろう。
「かじ」が片手間に作った抜き型が、近所で評判となって「かじ」はそれを売っていたと記録がある。
やがて、抜き型が大いに広まり、真似をして作っては売る者も現れたそうだ。
その頃の菓子とは今で言うところの菓子とは別物で、木の実などを菓子と呼んでいた。
米の粉から作った今で言う菓子は、ともかく抜き型が木製なので木の子供というか、木の実だと言えない事もない。
そこで、誰か分からないが、これを菓子と呼ぶようになったと言う事である。
手元の資料によれば、日本で初めての菓子は「かじ」の木型を元にして作った米の粉を固めた物だそうだ。
なお、この話は僕がデタラメに作ったインチキ話である事を申し添える。