僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・
去年の暮れに・・・
と、言ってもまだそれほど経っていないが、死にそうな思いで行った所。
なにやら、パワースポットだと息子は言っている。
パワースポットの意味がよく分からない僕としては、意味不明なのである。
何か良い事が起こるとでもいうのだろうか。
しかし、なんでも解釈しだいでどうにでもなるさ。
たとえば、パワースポットとやらで祈願したとして。
これまでと全く変わらない日々が続いたなら、悪くならなかったのはパワースポットのおかげだとか?
もちろん、良いことが起これば当然、パワースポットに行ったから?
悪いことが起きても、パワースポットに行っておいたから最悪にならなかった?
悪いことが起きた場合の評価は、比較する対象がすごい!
無理やりにでも、もっと悪い事と比べるのだ。
もしも、足に怪我をしたら頭が無事で良かったとか?
あるいはもっと悪くて、本人が死んでしまっても残された者が死なずに良かったとか?
こんな事を言っていたら、何が起きてもパワースポットのおかげだよ。
いくつかの宗教もこのような感じで「少し」という水準を良い方にも悪い方にも使って人心を惑わす。
極めつけは、何も変わらない時に「悪い事が起こらなくて良かった!」と言うのだ。
そうかなぁ、何かの信心をしていなかったら悪い事が起きていたのか?
僕は、悪い事が起こらなくて良かったよりも、なんで良い事が起こらないのかと思ってしまうよ。