近所で何かの寄り合いがある時に、
「あきれた人」は必ず遅れてやって来る。
葬儀や法要では特に遅く来て、飲み食いの席にだけ現れるような事をしていた。
普段から何事にも無頓着なので、いつでも一番遅く来るのであだ名がついた。
その人を「終列車」と呼んでいたそうだ。
ところで、いくら「終列車」でも、葬儀や法要で驚くほど遅く来るのは理由がありそうだ。
前に
「あきれた人」の宗教の話を書いたが、それに関係しているのではないかと噂された。
自分とは異なる宗教で執り行われる葬儀や法要で、読経や念仏のたぐいをしたく無かったとか。
近所の皆はそう言っていたのだが、本人に尋ねた人はいないので、あくまで想像である。
もちろん、飲み食いだけが目的で来る事はないと誰でも思っている。
たしかに貧乏で苦しい生活をしていた人だが、決して物をねだる事がなかったからである。
それどころか、他人に惜しまず物を分けるので、皆は感心していたという。
あの喋り好きさえなければと、人は言うそうだ。