今朝は早くに5時前に目が覚めて、1時間ほどしてまた眠った。
次に起きたのは7時50分で、これは目覚まし時計で起きた。
息子の部屋を覗くとまだ眠っていたので、早く起きるように声を掛けた。
今日は土曜日でゴミの収集日、息子の部屋の最後の僅かなゴミと台所のゴミをまとめる。
最後のゴミ出しだと言って、ゴミを収集場所まで運ばせた。
僕はその間に2杯分のコーヒーを淹れて、味噌汁を作っていた。
ゴミ収集場所は数十メートルの近くなので、コーヒーが半分ほど落ちたところで帰って来た。
数分後に手洗いを済ませてDKに入ってきたので、仏壇へご飯を運ばせて挨拶を促す。
僕も一緒に仏壇で、今日の日が迎えられた感謝の言葉とこれからの幸せを願った。
それからDKに戻り、淹れたてのコーヒーを出した。
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作った味噌汁は玉ネギで、僕はこれ以外はあまり好まない。
しかし最近ではいろいろ作っていたので、玉ネギは久しぶりである。
一昨日だったか、引っ越しの朝は一緒に朝ごはんを食べようと誘ったのだ。
今ではほとんど朝ごはんを食べない息子だが、最後の日くらいは食べたらどうだと言った。
すると、玉ネギなら味噌汁だけ食べるという返事。
中学生くらいまで、毎朝の味噌汁がほとんど玉ネギで飽きていたはずだが。
その後は時々しか作らない玉ネギの味噌汁を、旨いと言っていた。
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コーヒーを半分ほど飲んだところで、出来上がった味噌汁を出す。
すぐに口につけて、う~ん旨いと。
息子のテーブルの向かい席には祖母、つまり僕の母が毎朝の目玉焼きを食べている。
すでに時刻は8時45分、普段より15分間くらい遅れているだろうか。
母は毎朝お茶を飲みながら目玉焼きの白身を食べ、その後にご飯を食べる習慣である。
ここで、母にも味噌汁を出して、ご飯を食べてもらう。
いつもなら、その時に僕もご飯を食べるのだが、今朝はまだ食べない。
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実は、オニギリと玉子焼きを作って弁当に持たせる事にしてあった。
新居での引っ越し作業は、食事の暇が取れないほど慌ただしいだろう。
何も食べずに一気にやって疲れ過ぎて、明日の講習会に障りが出てはならない。
きちんと食事をするように、弁当を考えたのだ。
もちろんコンビニで買えるだろうが、それすら面倒に感じるかも知れないからだ。
夫婦二人分として、梅干しオニギリ4個、玉子焼き、サツマイモ2本。
オニギリは梅干しのリクエストで、普段は梅干しを食べないくせにオニギリの時だけ食べるとか。
玉子焼きが小さく見えるが撮影の関係で、ほんとうはかなり大きい。
サツマイモはスロークッカーで焼き芋にした。
玉子焼きを小さく切って容器に入れ、爪楊枝と手拭き紙を添えた。
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ところで、味噌汁だけしか食べないと言ったはずだが、オニギリを見て食べたくなったらしい。
中身は入れないで塩味だけで一つ握って欲しいと言うので、少し小ぶりに握って渡した。
玉子焼きはまだ作っていなかったが、もしも目の前にあったら食べられてしまったと思う。
祖母、父、息子の三人で食卓を囲もうと思っていたのだが・・・
僕は弁当作りや何やらで、それは叶わなかった。
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味噌汁とオニギリを食べ終わって、時刻は9時15分ごろである。
息子の車で運ぶ最後の荷物を積み込み、各部屋を見回して忘れ物の点検。
靴のヘリが剥がれかかっていたので、瞬間接着剤で応急処置をしてやった。
すっかり支度が終わり、玄関で祖母に向けて挨拶をさせる。
自宅敷地内の家の周りを一巡して、この地に今日までの感謝を心で唱えるようにさせた。
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いよいよ出発、時刻は午前10時になろうとしていた。
いつもは時間にルーズで遅れるばかりの息子であったが、今日だけは違った。
これほどキッチリとした、予定通りの事があっただろうか。
僕は近所まで後ろを走って送ろうと言い、そのとおりにした。
車に乗り込む時に、祝砲を三発と間をおいて二発放ち互いにVサインを交わした。
息子の車が先に敷地を出る、すぐに続いて僕も車で追いかける。
大通りに出る交差点で停止した際に、記念にでもするのかスマホで風景を撮っていた。
近所のスタンドで給油すると聞いていたので、僕はスタンド前を通り過ぎて別れた。
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スタンド前を通り過ぎた僕は、大周りで自宅に戻る事にした。
道を進むと中学校、しばらくして保育園と並んだ小学校がある。
入学式、運動会、バザー、面談、卒業式など懐かしい事を思い出した。
可愛い、可愛いと言いながら育てたら、本当に可愛い子になってしまった。
今でも、こいつ中学生と間違えられないかと思うほどである。
それが妻を娶って、新たな所帯を持つとは信じられない。
出会いから今日までは一年間ほど、この期間が短いのか長いのか分からない。
その間に僕がした事は何も無く、すべて二人で進めていた。
多少は何か言った事もあるが、それは世間で一般にこうするといった程度の常識を教えただけ。
何でも世間と同じにしろとは言わない、二人で相談して決めるのだと締め括っていた。
ここ数日間、僕は息子に対していろいろ世話をやいていた。
今日の弁当の事もそうだが、やり過ぎと言えるかも知れない。
だが、僕が息子と面白おかしく過ごした二十余年。
僕の子として生まれて来てくれた事への、僕の感謝の気持ちである。
いつも子犬のように僕にまとわり付き、うっとうしいと思った事も多い。
一人っ子にしても、これはどうかとも思った。
だが、アトピーで悩み苦しむ姿を見れば、仕方がないのかと思った。
曲がることなく、真っ直ぐとまでは言わないが道をそれずに育ってくれた。
気持ちの優しい青年に何も言う事はない、僕は幸せだった。
今日からの新たな生活が息子にとって、僕の幸せの何百何千倍になるよう願う。
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ところで、昨夜は講習会の帰りに仲の良い友人と食事に行くはずだった。
しかし、いろいろ考えたのだろう。
マックバーガーや菓子を買い込んで、我が家に友人を連れて来た。
たぶん、これから先は息子の部屋に友人が集う事はまず難しいだろう。
時々、大笑いしている話し声が漏れてくる。
ずいぶん楽しそうで、僕も仲間に入りたいくらいであった。
それから時が経ち、午後9時半ごろに友人を送っていく事になった。
昨日はは暑いくらいの一日で、夜でもあまり気温が下がらず室温は20℃くらいだ。
最後の日々は好きな風呂でゆっくりさせようと考えたが、前日の一回だけになってしまった。
風呂よりもシャワーが良いと言って、シャワーを浴びて午後11頃には寝たようである。
観たいTV番組があったようだが、すでにTVは搬出してしまったので観られない。
昼間の講習会の疲れもあるのだろう、用事があって部屋を覗くと眠っていた。
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息子を送り出して帰った僕は、あらためて息子の部屋を覗いてみた。
6畳ほどの狭い部屋が、やけに広々している。
ベッドと収納ボックスとピクニックテーブルが残っている。
かつては勉強机があり、机がなくなってから部屋の真ん中にコタツが置かれ。
今はコタツもなく、板の間に敷かれた数枚の畳のTVを置いた跡の青さよ。
この畳が青いうちに、遊びに帰って来い。
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引っ越し前夜から引っ越しの朝までの四つの記事で、この一連の話は終わりだ。
ここ数年間の息子に関する事は、他の記事にもたくさん書いてある。
いつでも、息子は僕の遊び友だちであったと実感していた。
さぁ、もう十分に懐かしんだから満足だ。
これからは、時おり顔を見に来るだろう事を期待して待っていてあげよう。
僕はこの地を離れる事なく住み続けるだろうから・・・