この記事は、あるブログ記事に対するコメントです。
エラーで投稿が完了しなかったので、ここに書き残しておきます。
2015/12/15 「イルカの事、知ってますか」にコメントします。
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こまで来ると、少しばかり深入りし過ぎかと感じました。
もちろん、僕の感想なので聞き流してくだされば・・・
けっきょく、他の命を奪い食らわなければ人は生きられません。
命の区別はないので、鶏もイルカも同じです。
動物だけでなく植物も命ですから、人は何も食べられなくなります。
ほんとうに生き物を尊重するなら、何も食べずに自分が死ぬ事が理屈です。
ペットのたぐいも、いくら愛情をそそいでいると言っても本当でしょうか。
僕には、飼い主が自分に向けた愛情ではないかと思います。
そもそも、人に飼われる動物に幸せなんてものがあるのでしょうか。
もしも動物に幸せという文言を使えるならば、自然の中で生きる事が幸せだと思います。
イルカが人に食われるためにいるのではないと言うなら、なぜペットは人に飼われて当然なのですか?
ペットが死んで悲しむのは、何故ですか。
命あるものは、死んで当然です。
この事は、たみ丸さんが過去に知恵袋で回答したとおり十分にご承知と思います。
悲しいのは、残された自分が寂しいからではありませんか?
たしかに、愛情を注いできたペットがいなくなるのは辛い事ですね。
でも、その注いだ愛情は鏡に映したように自分に注いでいたのではないかと、僕は思います。
動物愛護や保護の話は、どうも端的になるようです。
やはり、他の命を奪って生きている者が考えるには難しい事なのでしょう。
結論は、人が何も食わずに死ねば解決する問題です。
みずから問題を起こして、その問題を中途半端に考えるのは無駄な事です。
水揚げされた魚の群れ、冷凍庫に保存された大きなマグロの死体。
マグロを死体と呼ぶのが適切かどうかは分かりませんが、同じ命なら魚でも死体で良いかと。
ご存知の養鶏場の鶏の鳴き声に、どのような感情をお持ちになりましたか?
ドナドナの歌がありました。
また、花と小父さんの歌のように、草花にも感情があるのでしょうか。
僕には分かりませんが・・・
どのような理由を考えようと、命を奪って生きる事は残酷な事だと思います。
命の奪い方を楽にすれば良いとか、まったく的外れな話です。
どんなに楽にしようが、命を奪う事が一番の残酷な事です。
その一部だけを取り上げ批判してたところで、しかたがありません。
泥棒が泥棒稼業をやめないくせに、皆には泥棒は悪い事だからするなと言う。
その真理はどこにあるのか、泥棒やめろとは死ねという事だと思います。
もし真理がないのなら、それは何の説得力もない戯言でしょう。
最後に、僕の祖父の事を書きます。
とても動物好きで、人間の食事よりも家畜やペットの餌を先に与えていました。
人間は腹が空けばいつでも自分で支度して食べられるが、家畜は餌を貰わなければ食べられないと。
ある時に、その息子が家畜より先に食事をしたところ祖父が激怒したそうです。
昔の事で、火の着いた薪で息子に殴りかかったといいます。
そのような祖父に、僕の母が尋ねた事があります。
それほど動物が可愛いと言うのに、なんで家畜を食べるのかと。
すると祖父は、家畜は食べられるために生まれて来たから良いのだと答えたそうです。
人間より先に餌を与えて育てた家畜を、こう割り切っていたのですね。