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yuz_ブログ  >>  その他 なんでも

僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

近所に住む「あきれた人」は、時刻を気にせずやって来る。
そして、自分が飽きるまで帰らない。

さすがに朝に来る事は稀だったそうだが、昼近くや夕方にやって来たという。
その時刻は食事の支度を始める頃で、いちいち話し相手になっていられないのだが・・・
だいいち、自分の家の事はどうなっているのだろうかと、母は不思議がっていた。

今は食事の支度をしているからと言っても、それに返事も返さず。
自分の好き勝手な話を、ペラペラと喋りまくる。
昼は自宅に夫や子供がいないので、食事の用意もしなかったらしい。
そもそもが、喋り好きな横着者と近所では言っていたようだ。

なるほど、その家は整理整頓とは無縁な・・・
玄関に入ってみると、衣服が順番に脱ぎ捨てられていて驚いた。
歩きながら、ぽんぽんと服を脱いで放り投げて奥まで進んだのだろう。
何かの童話ではあるまいし、自分の歩いた道筋の目印かと思ってしまう光景だ。
ーーーーーーーーーーー

なにしろ、この「あきれた人」は帰らない。
母が自分の食事の支度をして、食べ始めようとしても関係なし。
自分は昼抜きだから大丈夫と言うが、そばで話しかけられては食べる事も出来ない。
それでも母はなんとか食べ始めたようだが、とても食べた気にならなかった。
そりゃあたり前だと、誰でも思うはずだ。

昼前から居ついて、やっと帰ったのは午後3時少し前とか。
母は、その方面では気が弱くて、帰れとは言えなかったとの事である。
今の時代と違い、まして田舎では露骨に何かを言う事は出来なかったのも分かるが。
それにしても、ちょっと酷い話ではないだろうか。
ーーーーーーーーーーー

早ければ僕が学校から帰って来るのが午後3時頃で、何度か居ついているところに出くわす。
僕は追い返そうと思い、母にオヤツやら縫い物やらの用事を頼む。
そこでやっと帰る気になるのだが・・・

玄関から出ると立ち止まり、そこで刑事コロンボのように。
奥さん、後一つ良いですか・・・
そのような感じで、また話を持ち出して喋り始める。
これが冬の寒い時期だと、たまったものではない。
外の冷気が家に入り込んで、寒くて寒くて閉口してしてしまう。

僕は家の奥から、まだ出来ないのかと母に声を掛けて助け舟を出す。
 その声で、やっと「あきれた人」は帰っていくのであった。

「あきれた人」は、僕の家に限らず近所中でやっていた。
皆はたいそう迷惑がっていたが、やはり母と同様に追い返してはいなかった。

物をねだったりする事はなかったが、他人の都合をまったく考えない人である。
とんでもない人が居たものだと・・・

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前に書いたあきれた人が、僕の母に宗教の話をしつこくして困ると言っていた。
ようするに勧誘するつもりだろうが、母には宗教にすがりつく考えはない。

近所の手前、しかたなく聞き流してはいたものの・・・
何度か仲間連れで勧誘に来られて、断るのに大変だったそうだ。
最後は脅しに近いような話で、怖がらせて勧誘されたとか。

なんとか穏便に断り帰って貰ったそうだが、近所のあきれた人は懲りもせず・・・
何かと世間話のついでに宗教の話をするので、顔を合わせるのが嫌になると言っていた。

そして僕は、母が言う事に納得していた。
食うに困るような貧乏な生活をして、人に助けられて感謝もしない。
宗教に入れば幸福になると言うが、あの生活が幸福と言うような宗教など誰が入るものか。

たしかに貧乏な状況で毎日が送れるのは、ある意味で幸せな事かもしれない。
しかし、次の日に命があるだけ幸せだと言う生活はしたくない。
母は、「あきれた人」は大きな勘違いをしていると言った。
まったく、貧乏に満足している人には、付き合いきれないと・・・

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1970年代の初め頃の話。
近所に住んでいた一家は家計が苦しく、月に何度かは食べ物に困る日があった。
それを見かねた僕の母は、奥さんや子供を家に招いて、即席ラーメンなどを作っていたようだ。

その奥さんは朝夕に配達の仕事を持っており、夫は隣町の何処かへ労務者として働きに出ていた。
親から受け継いだ小さな家に住み家賃が要らないので、食べるに困る生活にならないはずなのだが。
奥さんから聞いた話では、夫が飲み屋で給料の大半を使ってしまうとか・・・
ーーーーーーーーーーー

ある日、母が豚カツを一枚余分に買って、カツ丼を作って持って行ったそうだ。
カツ丼といってもご飯は無くて、フライパンで豚カツと玉ねぎを煮て玉子とじにした物。
最近ではこれをカツ煮と呼んでいるが、当時はそのような言い方はしていなかった。
だから僕は食堂で、カツ丼の上だけ作って欲しいと頼んだ覚えがある。

母はそのカツ煮を、近所だから器に移さずにフライパンのまま持って行った。
そして受け取った奥さんの言葉にあきれたと言う。

「ああ、これは夫の一回分だ」
「うちの夫は、これくらい一回でぺロリと食べてしまう」

まったく感謝の言葉もなく、いかにも量が少ないと言わんばかり。
母はこの言葉にガッカリして、その後は食べ物を滅多に出さなかったとか。

この奥さんは、普段から何をしても礼を言わなかったらしい。
何かをされてあたり前だと思ってなさそうだけど、良く分からない人だと母が言っていた。

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母から何度も聞かされた話だが、嫁いびり姑の話がある。
ある家で嫁さんが死んで、棺桶に入れる時に騒動があったという。

こちらの田舎では、通夜と葬式は近所の者が手伝いに出る。
料理から墓穴掘りまで、何でも近所の者が行っていた。

死んだ嫁さんを棺桶に入れようとしたところ、棺桶が少し小さかったらしい。
もちろん棺桶も近所の者が調達するのだが、身長の大きい嫁さんには少し足りなかった。
近所の者が考えあぐねていると、様子を見に来た姑が一言。

「入らなかったら、足の骨を折ってしまえ!」

言われた近所の手伝いの者は、この酷い言い草に呆れてしまった。
なかなかキツイ姑らしいと噂されてはいたが、ここまでとは思わなかったのだろう。

手伝いの者は、こう返したそうだ。

「おい婆さん、オメェが死んだらオメェの足も折ってやるからな!」

姑は何も言い返さずに、その場から離れたという。
はたして、姑が死んだ時にどのように棺桶に入れたのかは聞いていない。
ーーーーーーーーーーーー

いろいろな投稿サイトでゴタゴタ話を見かけるが、なるほど古くから続く問題だなと実感する。
女人の器量か性格か、たいした事のない「家」に固執するからか。
この問題は、いつになったら無くなるだろうか・・・

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記 : 空から魚が
僕が幼い頃に祖母が話した事はいろいろあるが、僕が聞いていない話もある。
これは祖母が、僕の母に話したもの。

祖母が若い頃に、空から魚が降ってきたという話である。
海辺の町に住んでいたが、ある日のこと空から魚が降ってきたという。
どれだけの量の魚が、また魚の種類とかは今となっては聞く事が出来ない。

僕がこの話を母から聞いたのは、ごく最近の事で10年も経っていないと思う。
話を聞いた僕は、すぐに竜巻が原因だろうと思った。
子供の頃に見た漫画で、忍者のサスケで血の雨が降るシーンがあった。
それが竜巻か何かが関係していたような記憶があったからかも知れない。
あるいは、そうでないかも知れない。

祖母の話は本当の事だったのか?
たまにこの話を思い出すと、調べてみようと思ったりする。
ただ、祖母がどこに住んでいた時か不明なので、また年代も分からない。
・・・・・・???

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これも古い、スウェーデンのドラマです。
スウェーデンと言えば、今日の魚を作った道具がスウェーデン製です。
あと、先日の豚汁の道具も・・・



この子は、ユーリア・ハーデというのですが・・・

白い石を持っていますね。

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