僕が若い頃に乗っていた自転車は、ペダルに
足を固定するトゥクリップを使っていた。
アルファベット大文字「Y」の上の方をグルットU字にした形で、つま先がスッポリ入る。
Yの下方の真っ直ぐな棒の部分には皮ベルトを通して、足の甲を締め上げる。
これで足がガッチリ固定されて、自転車と一体になる仕組みだ。
言葉で説明が難しいので、とある所の写真を借りてきた。
これ、初めて使うにはけっこう不安な仕掛けである。
なにしろ、足がペダルから離れなくなるので・・・
初めは停車した状態で片足を固定して、走り出したところでもう一方をクリップに差し込む。
問題は止まる時である、ベルトを緩くしてあれば抜ける道理なのだが・・・
余裕を持った停車なら、早くから足を抜くのでそれほど難しくない。
だが、とっさの場合には簡単には出来ない、慣れが必要だ。
どういう事かと言うと、クリップから足を抜くには足を後方に引かなければならないからだ。
左右どちらの足を地面に着くとしても、足を横方向に出すのが普通だと思う。
それを、足を後方に引かなければ足が抜けないので、いわば二段階動作になる。
これはもう、体で覚え込まないと・・・
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トゥクリップを使い始めて、そこそこ慣れてきた時に悲劇が起きた。
信号待ちの停車をするために、けっこう手前からいつもどおりに足を抜こうとした。
ところが、靴がクリップのベルトに引っ掛かり・・・
足が抜けなくなってしまったのである。
これはヤバい!
では、反対側の足をと思っているうちに、速度は止まる程に落ちていて間に合わない。
スローモーションのように時間が流れて、顔が道路に近づいていく。
静寂な時間が過ぎていく・・・
一瞬、何が起こったのか分からない。
夢のような気持ちの後で、周りの音が聞こえ始めた。
ああ、そうか転んでしまったのだ!
すぐに、格好悪い事になってしまったと思った。
幸いにも歩道側に倒れたので、後続車に轢かれる事もなかったが。
腕や足にはスリ傷が出来て、しかも打撲の痛みが感じられた。
なるべく人と顔を合わせないように、そぉ~っと走り去る。
それから一番近い路地に、さもあたり前のように曲がった僕がいた。
人目を避けた僕は体の傷を確かめて、見かけが大した事がないので安心した。
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当時、僕の住む町でトゥクリップを使っていた者は二人しかいなかった。
一人は僕で、もう一人は自転車好きな自転車屋のオヤジである。
その数年前には競輪上がりの人が一人いたが、その頃には乗っていなかったと思う。
競輪上がりの人はブレーキがない自転車だったので、極めつけ難しいだろうと僕は思っていた。
ともかく、格好悪い事になってしまったと、体よりも心の痛手が大きかった。
たくさんの人がトゥクリップを使っていたなら、転倒する人もよく見かけただろうに。
それが、町で二人しかいないのでは・・・
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この時の転倒の原因は不慣れは言うまでもないが・・・
一つはトゥクリップのベルトの緩め方が足りなかった事。
それと、履いていた靴が不適切であった事だ。
幅広な作りのエード革靴で、靴紐の部分が盛り上がっていた。
トゥクリップの皮ベルトは、靴に当たる側は皮の裏になり、そこにスエードでは滑りが悪い。
これでは引っ掛かって当然で、抜けにくいはずだ。
その後トゥクリップにすっかり慣れ、少々抜けにくい靴でも落ち着いて対処できるようになった。
サンダルなども抜けにくいが、というよりサンダル履きはどうかと思うが。
それでも、上手くあしらえるようになった。
もし、今トゥクリップを使ったらどうなるだろうか?
たぶん、大転倒して・・・!