僕はどこの宗教にも属していないつもりであるが、とある仏教の檀家である。
しかし、自分では信徒ではないと思っている。
何かとても不可解な立場だと思うが、けっこう似たような人が多いのではないだろうか。
ただ単に、自分が生まれた家がどこぞの仏教の檀家であっただけ。
それが代替わりになって、なんとなく引き継がれている。
大昔の先祖が当時の制度で仏教の檀家にさせられ、ずっと続いている。
その後に制度が崩壊してからは、宗教は何でも良いはずなのだが・・・
田舎の百姓らは何事も集団でなければ事が運ばないので、自分だけ檀家を抜けられなかった。
たぶん、そのような事であったと思う。
PTA、町内会、親睦会のたぐい、個人的に話を聞けば、それぞれ不要だと思う人が多い。
しかし、皆が互いを縛りあってしまい、抜ける事も廃する事も出来ない状態。
なんとか抜け出した者も、その後に何やらの宗教の信者になると・・・
何かと陰で言われる事になる、創価だ天理だPLだ、何だかんだと良くは言われない。
だが、仏教もその他の宗教もたいした違いはないと思う。
最終的には「お金」に結びつき、「お金」を出さずには済まないところに行き着く。
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僕は特に何を信じようとは思わないが、いろいろな宗教団体が配る冊子を読むのが好きだ。
休日になると熱心な信者が、数人であちこちを歩いている。
おそらく自腹で買ったであろう、宗教の冊子を各戸に配って歩く。
僕はそのような人に出会うと、「ごくろうさまです」と言う。
ほんとにご苦労な事である・・・
入信する気はないが、配り物はありがたく読ませて貰うと言って冊子をいただく。
冊子の内容はどこの宗教でも似ていて、たいした違いはない。
しかし、毎号ごとに変わる記事は、読み物として悪くないと思う。
一昨日は、知らぬうちに郵便受けに見覚えのない冊子が入っていた。
これまでに知らなかった団体であるが、近場に信者が引っ越しして来たのだろうか?
今日は、それを少し読んでみようかと思っている。