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僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

今朝の事、知り合いのブログに「おぶい紐」を作った話が書いてあった。
懐かしい物だ、そして僕が幼い頃に母の背中にいた事を思い出した。
でも、その記憶は少しばかり辻褄が合わない・・・

何故なら、今さっき思い出した記憶の様子は傍観者の見た光景である。
幼子が母に背負われた姿は、どう考えても自分の事ではない。
しかし母の顔は若い頃の母の顔であり、幼子の顔も間違いなく当時の僕の顔である。
これはおかしい、自分の背中が見えるはずがない。
どうして、このような記憶になっているのだろうか?

たしかに子供の頃には、背負われた時の感触を記憶していた覚えはある。
しかし年月が経つうちに、その感触は薄れていったと思う。
今は母の背中の感触を覚えておらず、「感触を覚えていた」という事実の記憶にすぎない。
つまり、何かの事実を直に記憶しているのではなく、事実があった事を記憶している状態なのだ。

例えば、注射をすると痛いが、その痛み自体を記憶出来るだろうか?
「痛み」の事実が「痛かった」という過去を表す言葉として思い出す事が出来る。
では痛みそのものは思い出せないかと言えば、かなり曖昧だが痛みを思い出せるような事もある。
それは、同じような痛みを再び経験した時である。

「今日の注射は、この前の注射よりも痛くなかった」

正しいのかどうか怪しいが、痛みを記憶しているようである。
ーーーーーーーーーーー

なんだか分からない記憶の仕組みであるが、僕は幼い頃の事実をそのまま記憶してはいないようだ。
知らぬうちに、当事者の自分が第三者になって傍観している。
ちょうどTVゲームのように、プレーヤーの自分の後ろ姿が見えるような感じ。
ゲームではViewを変えればプレーヤー目線に出来るが、少なくとも僕の記憶はView切り替えが出来ない。

この辺りは、人それぞれに記憶の仕方が異なるのだろうか?
あとで母や息子に聞いてみたいと思う・・・

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