二週間くらい前から母が酷い腰痛になり、いろいろ手が掛かるようになっている。
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特に厄介なのがトイレの付き添いで、トイレに手を引いて行くだけの事だが負担が多い。
たとえば深夜に突然に呼ばれても、寝起きで慌てるような行動は僕自身が危ういので時間が掛かる。
すると当然に、早くトイレに行きたい本人も待つ事になるので負担を感じるだろう。
だから、介助するも介助されるも互いに負担を感じる事になってしまう。
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母の腰痛騒ぎから半月ほど経ったわけだが、ほんの僅かに症状が良くなったと思われる。
それでも手放しで歩かせられず、何かにつけて僕が手を引いている。
ただ、どこまでいつまで介助したら良いのかが分からない。
本人が出来そうな事は自分でやるようという話を聞くが、それで良いのだろうか。
なかなか難しい話になるなと・・・
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僕は40歳になった時に、もう人生に大した事は望めなくなったと思った。
もともと自堕落に過ごして来たのだが、どこかに未来を夢見ていたのだろう。
自分の年齢を考えたら、途端に先行きに大きな影を見た気がするのである。
もう、やり直せない。
時間はとっくに過ぎてしまって、今さら何をしても間に合わない。
同じ結果を得ても、例えば何かの新人賞は年を過ぎた今では勝ち取れないのだ。
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これまでも、何かにつけて母の手を引く事があった。
そして、家の中のあちこちに、手掛かりになる取っ手やてすりが必要だと思っていた。
いつか手すりを取り付けようと、つい先送りしていたのだが・・・
いよいよ今が手すりを付ける時期だと思い、ホームセンターで部材を買って来た。
ごく見栄えの良い手すりは高価で、そうそう試しに使ってみようとは思えない。
とりあえずステンレス巻きパイプを使って、ごく簡易な手すりを作ってみた。
母の部屋を出た廊下から、トイレの内外に手すりを配置した。
今のところ、具合が良さそうだが・・・