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yuz_ブログ  >>  その他 なんでも

僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

何かをやろうと思いついても、すぐに忘れてしまう。
ここに、これからの予定を書き残しておく。

買い物 ----------
ノーベル はちみつきんかんのど飴 Amazon参考252円 11/16 近所のスーパー160円だった
味噌 1.5Kg 11/12
砂糖 1Kg 11/12
白菜 1株 11/12
長ネギ 6本 11/12
京菜 1束? 11/12
*オイスターソース 1本 年内中

作業 ----------
*ウッドストーブを作る
*飛騨コンロ用の木枠を作る
*ハンバーグを作る
*庭木を移植する
*ハナミズキを剪定
*落ち葉を集めて燃やす
*TVを分解
*エアコンを清掃
*室内壁を清掃
*加湿器を準備
*小型テーブルを製作
*夏物衣料をしまう
*アルミのメッキ
*庭の除草
*日除けなどの片付け
*スモーク用のチップを作る
包丁を研ぐ 11/15 菜切、出刃、ペティの3本を研いだ。
*不要な食器を選別
*配水管が地面から露出した所を保護する対策
*北側境界に何らかの仕切り
*ソファーの取り替え、または座卓に変更
*LDKのレイアウト変更

その他に思い出したら、ここに書き足す。

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今朝の事、知り合いのブログに「おぶい紐」を作った話が書いてあった。
懐かしい物だ、そして僕が幼い頃に母の背中にいた事を思い出した。
でも、その記憶は少しばかり辻褄が合わない・・・

何故なら、今さっき思い出した記憶の様子は傍観者の見た光景である。
幼子が母に背負われた姿は、どう考えても自分の事ではない。
しかし母の顔は若い頃の母の顔であり、幼子の顔も間違いなく当時の僕の顔である。
これはおかしい、自分の背中が見えるはずがない。
どうして、このような記憶になっているのだろうか?

たしかに子供の頃には、背負われた時の感触を記憶していた覚えはある。
しかし年月が経つうちに、その感触は薄れていったと思う。
今は母の背中の感触を覚えておらず、「感触を覚えていた」という事実の記憶にすぎない。
つまり、何かの事実を直に記憶しているのではなく、事実があった事を記憶している状態なのだ。

例えば、注射をすると痛いが、その痛み自体を記憶出来るだろうか?
「痛み」の事実が「痛かった」という過去を表す言葉として思い出す事が出来る。
では痛みそのものは思い出せないかと言えば、かなり曖昧だが痛みを思い出せるような事もある。
それは、同じような痛みを再び経験した時である。

「今日の注射は、この前の注射よりも痛くなかった」

正しいのかどうか怪しいが、痛みを記憶しているようである。
ーーーーーーーーーーー

なんだか分からない記憶の仕組みであるが、僕は幼い頃の事実をそのまま記憶してはいないようだ。
知らぬうちに、当事者の自分が第三者になって傍観している。
ちょうどTVゲームのように、プレーヤーの自分の後ろ姿が見えるような感じ。
ゲームではViewを変えればプレーヤー目線に出来るが、少なくとも僕の記憶はView切り替えが出来ない。

この辺りは、人それぞれに記憶の仕方が異なるのだろうか?
あとで母や息子に聞いてみたいと思う・・・

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「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」が題名だったのか・・・
ごく、たまに、何という映画だったのか思い出そうとしていた。
今朝は、その映画の事を検索してみた。

たまたまネットニュースで、青ヶ島の焼酎の紹介記事を見て思い出した。
いつも調べようとしていて、そのくせ忘れてばかりいた。

古い話になると記憶違いが多い僕だが、この映画の舞台となった場所は間違っていなかった。
青ヶ島・・・

子供の頃に見たこの映画の印象は、もの凄い貧乏な島だと感じた。
映画の内容はすっかり忘れてしまったが、子供らが悲惨という印象を強く持った。
そして、女の先生と子供らが頑張って何かをしたとしか覚えていない。

さっき検索して、あらすじを見て話が分かった。
当時、映画「二十四の瞳」があり、僕は後に二つの映画を混同した事もあった。
でも、すぐに映画だと思いなおしたりしていたものだ。

この青ヶ島の映画は、近所の映画館で見たのか・・・
あるいは学校で見たものか、覚えていない。
僕が子供のころは、学校の授業で映画が上映される事があったのだ。
どちらだったのか・・・

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ある時、職場で暴力沙汰の揉め事があった。
僕がいち早く気付いて、初めに手を出した男を抱え込んで止めた。
その男は若い奴で、上司に叱られているうちにキレてしまったようだ。

男は上司の首を掴んで投げ飛ばし、倒れた上司の首を締め付けていた・・・
僕は慌てて走り寄り、その男の首に腕を回して引き離そうとしていた。

そのうち騒ぎに気付いた他の者が駆けつけ、両者を分けておさまった。
なにしろ相手は190cm超の大男で、僕との身長差は20cmもある。
しかも、ガッシリとした小太りで力もある現場作業員で・・・
僕も力はあるが、荒れ狂った男をおとなしくさせるのは難しい事だ。
ーーーーーーーーーー

男が落ち着いたところで、事務所に連れて行き事情を聴いた。
いろいろ叱っているうちに、上司も言葉が過ぎたようである。
しかし、なんと言っても暴力を振るってはならない。
業務中という事もあり、当日中に解雇が決まりすぐに退社させた。

その男は、普段から言動におかしなところがあった。
虚言が多くて、皆が話半分に聞いていたとか。
そして今回の騒動で危ない奴という事になり、解雇が妥当という事になった。
ーーーーーーーーーー

翌日の朝。
僕は、いつもどおり出勤している男を見かけた。
昨日の話はどうしたのかと思い・・・

やはり、何事も分かっていなかったようである。
改めて解雇を言い渡されて、始業まもなく帰っていった。

ん~、なんだか怖い話である。

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近所で何かの寄り合いがある時に、「あきれた人」は必ず遅れてやって来る。
葬儀や法要では特に遅く来て、飲み食いの席にだけ現れるような事をしていた。

普段から何事にも無頓着なので、いつでも一番遅く来るのであだ名がついた。
その人を「終列車」と呼んでいたそうだ。

ところで、いくら「終列車」でも、葬儀や法要で驚くほど遅く来るのは理由がありそうだ。
前に「あきれた人」の宗教の話を書いたが、それに関係しているのではないかと噂された。

自分とは異なる宗教で執り行われる葬儀や法要で、読経や念仏のたぐいをしたく無かったとか。
近所の皆はそう言っていたのだが、本人に尋ねた人はいないので、あくまで想像である。

もちろん、飲み食いだけが目的で来る事はないと誰でも思っている。
たしかに貧乏で苦しい生活をしていた人だが、決して物をねだる事がなかったからである。
それどころか、他人に惜しまず物を分けるので、皆は感心していたという。

あの喋り好きさえなければと、人は言うそうだ。

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常識はずれで喋り好きな「あきれた人」も、自分だけの事で済むなら良いのだが。
あまりにも迷惑なので、とうとう顧客を減らしてしまったという。

この「あきれた人」は朝夕に、新聞と牛乳の配達をしていた。
時に配達先で喋りこんで、配達に遅れが出ていたとか。
やはり、このような物は定刻に配達されないと困るはずだ。

当時は配達と月末の集金を同じ人がしていて、「あきれた人」もそうしていた。
朝夕の配達時は配達先の家人と顔を合わせる事は少ないが、集金は必ず顔を合わせる。
すると、いつもの喋りを発揮して・・・
さすがに配達先はいつもの優しい近所の人とは違い、そっけなく追い払う。
それでも自分の常識はずれの喋り過ぎに気づかず、何にも感じなかったのだろう。

やがて顧客らは、あれが配達や集金にくると、いつまでも喋っていてこちらの仕事にならない。
いっそ、他の販売店から買う事にした人が相次いで・・・
とうとう、ほとんどの顧客を失ったそうだ。

これは、販売店には大損害である。
いつしか自分で辞めたのか、辞めさせられたのか・・・
朝夕の配達仕事をしなくなっていた。

仕事が無くなれば、ますます貧乏になり・・・
そして手に職がある訳でもなく、暇ばかりが増える。
すると、近所の家に行く事が多くなりという悪循環が始まる。

近所の家では、次第に玄関にカギを掛けるようになった。
声がしても「あきれた人」だと分かると、扉を開けなくなった。
しかし、商店の家は戸締めをする訳にもいかず、困った事だろう。

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