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僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

記 : 死に目
僕が人の死に目に会ったのは、父と母の時の二度である。

はるか昔に自宅で、激しく苦しみながら死ぬ父を見た。
近所の公園で一人遊びに飽きた僕が帰った自宅は、なにやら騒がしかった。
急に父の具合が悪くなって、救急車がない時代なので医師が往診に来ていたのである。
一緒にいた看護婦が泣き声で、臨終の父の体を揺すりながら名前を叫んでいた。

医師は別の薬を試そうとしたが持って来ておらず、我が家の数軒先にある薬局へ向かう母。
あいにく薬局には目的の薬が無く、布団でもがき苦しむ父は息を引き取った。
このような事の経緯から、近所では医師の見立て違いの噂もあったようだ。
しかし母は世間の噂としか思っておらず、今までずっとそうであった。

父の死から60年間も経つとは、ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。
たまたま遊び飽きて帰って目にした父の死、幼過ぎた僕には死の意味も分からなかった。
先日は入院中の母が僕を待っていたかのように、僕が到着して間もなく静かに死んだ。
それは、母が救急で入院してから20日目の午後2時半ごろの事である。
両親の死に様がこれほど違うとは改めて思ったのだが、母は苦しまなかったようで良かった。

普段から病院で死にたくないと言う母だが、今の時代にそれが叶わぬ事は本人が承知していた。
だが延命治療は絶対にしないでと、そして父の時のように揺すったり絶叫しないでくれと。
僕は母を揺すりもせず静かに看取って、ずいぶん長い事がんばったねと一言だけ声をかけた。

ところで、母はまったく死ぬつもりがなかったのである。
歳だからそう長くはないと言いながらも、まだもう二年くらいはとか。
今回の入院でも、まさか死ぬとは思っていなかったはずだ。
こんなだから、こっちが驚いてしまう。

それでもたまに、この歳で生きるのは大儀だと愚痴をこぼす事もあった。
でも寝込んでしまったらお終いだ、ご飯を食べたいから起きるのだと言っていた。
入院前の最後の昼食「うな丼」は半分も食べられなかったが、満足しただろうか。
前日の晩ごはんは大好きな「ドジョウ」を完食していたので、僕としては悔いがないのだが。



写真は入院当日に自宅で食べた午後のオヤツである。
チョコ入りパンを1/5ほど食べただけで、イチゴは口にしなかった。
ただ、微熱があるせいか無性に水分を欲しがって、何度も湯冷ましを飲んでいた。
この数時間あとで、救急車で病院へ運ばれて入院となった。
その時に僕は、母が再びこの部屋に戻る事があるのだろうかと考えてしまった。

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