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僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

記 : まぜご飯
母が死ぬ二日ほど前だったと思うが、まぜご飯を作ろうと考えていた。
チラシ寿司を作った人のブログを見て、たまには酢飯のご飯を食べたいと思ったのである。
酢飯は握り鮨として一週間もおかずに何度も食べていたが、まぜご飯はめったに食べていない。
なぜなら、売られているチラシ寿司やまぜご飯は、具材が硬くて母には食べにくいのだ。
柔らかく煮た油揚げも口から出す母なので、どれほどのものか想像できるだろう。
僕は少々の生煮え程度の硬さならなんともないが、母はまったく歯が立たない。

昨日の夕方、冷蔵庫に油揚げの買い置きを見つけて思い出した。
賞味期限は23日でギリギリだが、放っておいてもまだ数日間は大丈夫と思う。
それでも急にまぜご飯を食べたく、また母に作ってやれなかった事が悔やまれた。
いろいろ考えて昨日のうちに具材を煮て、錦糸玉子を作り、合わせ酢も作っておいた。

飯台を探し出せば、我が家には飯台が三つある。
以前も三つあったのだが、うち一つは壊れたので後に小さなサイズに買い換えた。
古い飯台は乾燥が過ぎるとタガが緩んで、うっかりするとバラバラに分解してしまう。
壊れた飯台と言ったのはその事で、直せない事はないだろうが捨ててしまった。
昔は年に何度も大量の寿司を巻いたり握っていたので、大きな飯台が幾つも必要であった。
しかし、今は人寄せもなく、またスーパーなどに注文したほうが安くて手間がかからない。
そこで我が家では、少量の扱いが便利なように小さめの飯台を代わりに買ったのである。

この写真の飯台が現在の手持ち分であるが、下になっている二つは50年間以上は経っている。
年に数回の使用であったが、なかなか綺麗で長持ちなので自然木の強さに感心してしまう。



飯台も昨日のうちに、サーっと水でホコリを洗い流して乾かしておいた。
当日の今日は飯台を軽く拭くだけで使い始められるので、木に水が滲み込まず都合が良い。
木が酢を合わせた飯の水分を吸ってくれないと、べちゃついた酢飯になってしまうから。

  

飯台の内側に付いた飯粒は、ゴムベラを使うと簡単にとれる。
濡れ布きんを使うよりも楽で、手早く綺麗になる。
ゴムベラは鍋洗い前の汚れ落としに使うと、カレーなどの鍋も洗いやすくなり重宝する。

  

具材はいつもどおり、ニンジン、油揚げ、シイタケ、シメジ。
盛り付け時に、塩えんどう豆、茹でほうれん草、錦糸玉子、紅ショウガ、刻み海苔。

僕の分は大きな皿に、仏壇に供える分は小皿によそう。
そして、親戚に届けようか・・・
持ち運び容器に詰めてみたのだが・・・



さて、少し早めだが昼食に食べてみた。
やはり旨い、自分に合うように作ったのだから当然だが。
いつ食べても酢飯はうまい!

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記 : 一人の実感
母の葬儀を終えた翌日の今朝は、昨日の好天に比べ曇りがちな空である。
それでも日曜日の朝としては申し分なく、少し寒いと感じるのは朝だけだ。

昨日は朝早くから忙しくしたが、今朝は時刻が同じでも落ち着いている。
すでに20日間も一人で朝を過ごしており、葬儀をした昨日の朝との違いはあまり感じない。

20日間、この期間があったので昨日と今日の違いに違和感がないのだろう。
ちまたで言う「茹でカエル」真否はともかく、同じような現象なのだろうか?

午後3時半過ぎごろか、息子が友人とやって来た。
二人で順に線香をあげる後ろ姿は、なんともありがたい事である。

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母は4/18日午後に息を引き取り、今日4/20日昼近くに火葬となった。
僕の住む地域では、たいがい一気に事を進めて短期間で弔いを済ませる。

よし、これで終わった。

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記 : 今日はこれで
昨夜は息子と二人で通夜のような飲み会をして、母の話をしながら夜が更けた。
今日は朝から葬儀関係者と打ち合わせを行ったが、ごく簡単に済んだ。

ところで喪服はどうなっているだろうか、喪服と言っても略式の黒ダブルで・・・
ネクタイを変えれば祝いにも、場所によっては危ない関係の人になりそうな。
Yシャツは白無地が黄ばんでいたので、離れた店まで買いに出かけた。

そして、実は大問題になりそうなのが靴であった。
何年も仕舞い込まれた靴は、油分が切れてパサパサの革になっていた。
靴を履いた瞬間からピシピシと音がして、滑らかな革の表面にヒビ割れが生じた。
なんとか焼きの陶器のようになってしまい・・・
まぁ、とりあえず靴墨で誤魔化す事にしよう。

さて、今日は来客も帰ったので通夜も終わりにする。
明日は9時くらいまでに支度を終えなければならぬが、今夜は眠れるだろうか。
昨夜はほとんど寝た気がしなかったし、たしかに寝不足であった。
自分では気付かなかったが、すっかり興奮状態になっていたのだろう。
ちょうど、コーヒーを飲み過ぎた晩のように。

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記 : 母の最期
昨日の午後に僕が病院へ来るのを待っていたように、あっけなく母は死んでしまった。
朝から少しずつ容体が悪くなり始め、僕が着くころには危険な状態になっていた。
すでに意識はなくなっているのだろうか、話しかけても返事をしてくれない。

僕が親戚に電話で様子を知らせ戻ってくると、一分間も経たない目の前で急に脈が低下した。
呼吸は続けているが脈が途切れてしまい、ドラマで見る「ピーーー」という状態だ。
少しハァハァとした息遣いであったが、苦しそうではなかったと思う。

僕は母に呼びかける事もなく、傍に立つだけで静かに看取った。
ずっと前から母に言われていた事があり、そのとおりにしたのである。
もしも母が最期になったら大声で呼び戻したり、身体を揺すったりしないで欲しいと。
耳元で大声で叫ばれたらうるさいし、まして体を揺すられるのは堪らないから。
自分は死に際でうるさいと言えないだろうし、騒々しい中で死にたくない。

母を自宅に連れ戻して30分間くらい経ってから、仕事を切り上げた息子が帰って来た。
息子は母の死に顔を見て安らかだと言ながら、母の傍に座り込んでいた。
僕が母の部屋に入ろうとすると、強い口調でちょっと待ってくれと言われた。
暫く経って見た息子の顔は目を赤くして、それでも我慢をしているようだ。
さぁ、今夜は大酒でも飲もうと僕は言って、日付が変わる頃まで飲んだ。

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記 : 酸素吸入
毎日、午後に母の入院先へ様子見と不足品があれば補給のために通っている。
昨日は、大きな袋入りの不足品を持って行った。
いつも母は眠いようで、僕はたいがい十数分間ほどの短時間で帰る。

一昨日、酸素量が少し減らされていた。
マスクの型がこれまでと異なり、酸素を溜める袋が省かれていた。
容体が良くなったのだろうか・・・

そして昨日は、酸素が元に戻してあるのか?
手書きの酸素量は数日前までと同じ数値が記されていた。
マスクは一昨日と同じなので、一時的に酸素量を変えていただけかも知れない。

いずれにしても、マスクをしていると飲食が難しいだろう。
母はいろいろ食べたがるが、医師や看護師は誤嚥を恐れて慎重である。
でも、実際にはどうなのだろうか。

もじき入院が20日になるが・・・

追記:
今日も同じく午後から様子見に行ったが、病床の母は酸素量が少ないせいかハァハァしていた。
SpO2は90~94をやっと維持している状態で、母は苦しいと言わないが見ている僕が・・・

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