忍者ブログ
インフォメーション
< 05月 2025年06月 07月 >
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
RSS
yuz_ブログ  >> 

僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

記 : かしわ餅
今日の夕方、暗くなってから息子が家に来た。
職場で頂いた香典を供えに来たと言い、供物にかしわ餅を持って来た。
そうか、かしわ餅の時期になっていたのだと気付かされた。
母には僕が先月の初めに桜餅を買って来たので、あれから二か月になるわけだ。

ただ、なぜか鯉のぼりを見かけない・・・
だから息子が持ってきたかしわ餅を見て、僕は少しあれっと思ったのである。
たまたま僕の地域で男児が少なかったのか、定かではないが。

拍手[0回]

記 : 寒い
今日は土曜日、一昨日まで20℃越えの暖かさが昨日は急に10℃くらいまで下がった。
そして今朝も同じくらいの寒さで、どこかでは雪が降ると聞いた。
昨夜は電気毛布を低温で使っていたが、夜中にちょっと汗ばんでしまった。
寒いと言えども、真冬ほどの寒さではないようだ。

先週の土曜日は母の葬儀で、今頃の時刻は慌ただしくしていた。
よく晴れた朝で少し寒かったが、今朝ほど寒くはなかったはずである。
日中は少しずつ気温が上がり、風にあたらなければ寒くなかった。

今日から10日間の連休と言うが、実際に連休を取れる人はどのくらいだろうか。
働く人口の3割くらいかなと思っているが・・・

電車、バス、飛行機、スーパー、コンビニ、劇場、遊園地、他にもいろいろ。
見回せば、たくさんの人が働いている・・・
それなのに連休だ連休だと大騒ぎしているのが、僕には可笑しくてたまらない。

拍手[0回]

記 : 茄子天ぷら
昨日は母の死去に関する役所の手続きと葬儀費用の清算などがあり、少し忙しく動いていた。
その後に何軒かの店に買い物へ向かい、夕方になって帰宅してビールを飲む事にした。
買い物でちょうど良いアジを見つけたので、さっそくアジのタタキを作った。
それだけでは物足りないと思い、たまには天ぷらでも食べようと茄子も買って来た。

先日のまぜご飯では盛り付けを褒められたが、昨日の天ぷらもアジのタタキも作っただけ。
盛り付けなど気にする暇も惜しく、熱い天ぷらと冷たいアジでビールを飲んだ。



向こうに見える天つゆが多いのは、加減を間違えてしまったからである。
いちいち一人分の天つゆを合わせるのは面倒なので、ダシつゆの素を湯で薄めただけ。
つゆの素ボトルから出過ぎてしまい、ちょど良いまで薄めたら多くなってしまった。

ともかく、旨かったのはたしかである・・・
母の霊前にも供えておいたが、後で見ても食べて減った様子はなかった!
まぁ、あたり前かなと思うが。

そして今日もまた、天ぷらを食べたくなったので揚げた。
今日は天ぷらだけなので、パセリ、シイタケ、ピーマン、ナスとシソの葉も揚げた。
なお、シソの葉は別皿に置いたので、この写真に入っていない・・・



今の室温は25℃で、ビールを頂くのにちょうど良い。
時刻は16時半になろうとしている・・・
まだ早いなどと言わず、供養だ供養だ供養だっ!

拍手[1回]

記 : 死に目
僕が人の死に目に会ったのは、父と母の時の二度である。

はるか昔に自宅で、激しく苦しみながら死ぬ父を見た。
近所の公園で一人遊びに飽きた僕が帰った自宅は、なにやら騒がしかった。
急に父の具合が悪くなって、救急車がない時代なので医師が往診に来ていたのである。
一緒にいた看護婦が泣き声で、臨終の父の体を揺すりながら名前を叫んでいた。

医師は別の薬を試そうとしたが持って来ておらず、我が家の数軒先にある薬局へ向かう母。
あいにく薬局には目的の薬が無く、布団でもがき苦しむ父は息を引き取った。
このような事の経緯から、近所では医師の見立て違いの噂もあったようだ。
しかし母は世間の噂としか思っておらず、今までずっとそうであった。

父の死から60年間も経つとは、ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。
たまたま遊び飽きて帰って目にした父の死、幼過ぎた僕には死の意味も分からなかった。
先日は入院中の母が僕を待っていたかのように、僕が到着して間もなく静かに死んだ。
それは、母が救急で入院してから20日目の午後2時半ごろの事である。
両親の死に様がこれほど違うとは改めて思ったのだが、母は苦しまなかったようで良かった。

普段から病院で死にたくないと言う母だが、今の時代にそれが叶わぬ事は本人が承知していた。
だが延命治療は絶対にしないでと、そして父の時のように揺すったり絶叫しないでくれと。
僕は母を揺すりもせず静かに看取って、ずいぶん長い事がんばったねと一言だけ声をかけた。

ところで、母はまったく死ぬつもりがなかったのである。
歳だからそう長くはないと言いながらも、まだもう二年くらいはとか。
今回の入院でも、まさか死ぬとは思っていなかったはずだ。
こんなだから、こっちが驚いてしまう。

それでもたまに、この歳で生きるのは大儀だと愚痴をこぼす事もあった。
でも寝込んでしまったらお終いだ、ご飯を食べたいから起きるのだと言っていた。
入院前の最後の昼食「うな丼」は半分も食べられなかったが、満足しただろうか。
前日の晩ごはんは大好きな「ドジョウ」を完食していたので、僕としては悔いがないのだが。



写真は入院当日に自宅で食べた午後のオヤツである。
チョコ入りパンを1/5ほど食べただけで、イチゴは口にしなかった。
ただ、微熱があるせいか無性に水分を欲しがって、何度も湯冷ましを飲んでいた。
この数時間あとで、救急車で病院へ運ばれて入院となった。
その時に僕は、母が再びこの部屋に戻る事があるのだろうかと考えてしまった。

拍手[0回]

記 : まぜご飯
母が死ぬ二日ほど前だったと思うが、まぜご飯を作ろうと考えていた。
チラシ寿司を作った人のブログを見て、たまには酢飯のご飯を食べたいと思ったのである。
酢飯は握り鮨として一週間もおかずに何度も食べていたが、まぜご飯はめったに食べていない。
なぜなら、売られているチラシ寿司やまぜご飯は、具材が硬くて母には食べにくいのだ。
柔らかく煮た油揚げも口から出す母なので、どれほどのものか想像できるだろう。
僕は少々の生煮え程度の硬さならなんともないが、母はまったく歯が立たない。

昨日の夕方、冷蔵庫に油揚げの買い置きを見つけて思い出した。
賞味期限は23日でギリギリだが、放っておいてもまだ数日間は大丈夫と思う。
それでも急にまぜご飯を食べたく、また母に作ってやれなかった事が悔やまれた。
いろいろ考えて昨日のうちに具材を煮て、錦糸玉子を作り、合わせ酢も作っておいた。

飯台を探し出せば、我が家には飯台が三つある。
以前も三つあったのだが、うち一つは壊れたので後に小さなサイズに買い換えた。
古い飯台は乾燥が過ぎるとタガが緩んで、うっかりするとバラバラに分解してしまう。
壊れた飯台と言ったのはその事で、直せない事はないだろうが捨ててしまった。
昔は年に何度も大量の寿司を巻いたり握っていたので、大きな飯台が幾つも必要であった。
しかし、今は人寄せもなく、またスーパーなどに注文したほうが安くて手間がかからない。
そこで我が家では、少量の扱いが便利なように小さめの飯台を代わりに買ったのである。

この写真の飯台が現在の手持ち分であるが、下になっている二つは50年間以上は経っている。
年に数回の使用であったが、なかなか綺麗で長持ちなので自然木の強さに感心してしまう。



飯台も昨日のうちに、サーっと水でホコリを洗い流して乾かしておいた。
当日の今日は飯台を軽く拭くだけで使い始められるので、木に水が滲み込まず都合が良い。
木が酢を合わせた飯の水分を吸ってくれないと、べちゃついた酢飯になってしまうから。

  

飯台の内側に付いた飯粒は、ゴムベラを使うと簡単にとれる。
濡れ布きんを使うよりも楽で、手早く綺麗になる。
ゴムベラは鍋洗い前の汚れ落としに使うと、カレーなどの鍋も洗いやすくなり重宝する。

  

具材はいつもどおり、ニンジン、油揚げ、シイタケ、シメジ。
盛り付け時に、塩えんどう豆、茹でほうれん草、錦糸玉子、紅ショウガ、刻み海苔。

僕の分は大きな皿に、仏壇に供える分は小皿によそう。
そして、親戚に届けようか・・・
持ち運び容器に詰めてみたのだが・・・



さて、少し早めだが昼食に食べてみた。
やはり旨い、自分に合うように作ったのだから当然だが。
いつ食べても酢飯はうまい!

拍手[1回]

記 : 一人の実感
母の葬儀を終えた翌日の今朝は、昨日の好天に比べ曇りがちな空である。
それでも日曜日の朝としては申し分なく、少し寒いと感じるのは朝だけだ。

昨日は朝早くから忙しくしたが、今朝は時刻が同じでも落ち着いている。
すでに20日間も一人で朝を過ごしており、葬儀をした昨日の朝との違いはあまり感じない。

20日間、この期間があったので昨日と今日の違いに違和感がないのだろう。
ちまたで言う「茹でカエル」真否はともかく、同じような現象なのだろうか?

午後3時半過ぎごろか、息子が友人とやって来た。
二人で順に線香をあげる後ろ姿は、なんともありがたい事である。

拍手[0回]

yuz_・・・ ブログをご覧の皆さまへ

このブログをご覧になって生じるいかなる問題に対しても、当方は一切の責任を負いません。


PR
忍者ブログ[PR]