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僕の毎日を、思い出として書き残す。
何一つ役立つものはないが・・・

記 : 昨日の続き
元号が平成から令和に変わったが、僕は昨日の続きが今日になったとしか感じない。
節目という考え方捉え方があるのは分かるが、僕にはどうでも良い事である。
ただし、今回に限らず年号の境界が半端なので年月数計算が面倒になっただろう。
公的には連番の西暦で対応してもらいたいが・・・

追記:
朝8時半ごろに近くの駅に迎えが欲しいと、息子から電話があった。
新たな元号になった日なので、家に顔を出したいと言う。
僕には意味のない元号変わりでも、息子には何かしらの意義があるのだろう。
母の霊前に線香をあげてブツブツ言っていたようだが・・・

家に20分間ほど居たと思うが、東京へ行く予定があるので帰ると言った。
慌ただしいが、特急の時刻に合わせて息子を駅まで送って別れた。

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記 : ぬか漬け
キュウリが一本20円くらいの価格に下がったので、ヌカ漬けにした。
なにも、価格が高かったからヌカ漬けにしなかったのではない。
経験では価格が高い頃のキュウリは、たいがいヌカ漬けにしても旨くなかった。
旬の野菜なら安価で旨いので、よほど食べたいと欲しない限り季節外れの野菜を漬物用にしない。

一昨日の晩にキュウリを丸ごと2本、さらに縦割にした1本分をヌカ漬けにした。
昨日の朝は縦割りのキュウリの片割れを食べたが、良い塩梅の塩味でたいそう旨かった。
残りの片割れは漬け込んだままで今日の朝に食べたが、それは深く漬かりうま味が増していた。

丸のまま漬けた2本のキュウリは、古漬けにするつもりである。
今はぬか床の底でゆっくりと・・・

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記 : かしわ餅
今日の夕方、暗くなってから息子が家に来た。
職場で頂いた香典を供えに来たと言い、供物にかしわ餅を持って来た。
そうか、かしわ餅の時期になっていたのだと気付かされた。
母には僕が先月の初めに桜餅を買って来たので、あれから二か月になるわけだ。

ただ、なぜか鯉のぼりを見かけない・・・
だから息子が持ってきたかしわ餅を見て、僕は少しあれっと思ったのである。
たまたま僕の地域で男児が少なかったのか、定かではないが。

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記 : 寒い
今日は土曜日、一昨日まで20℃越えの暖かさが昨日は急に10℃くらいまで下がった。
そして今朝も同じくらいの寒さで、どこかでは雪が降ると聞いた。
昨夜は電気毛布を低温で使っていたが、夜中にちょっと汗ばんでしまった。
寒いと言えども、真冬ほどの寒さではないようだ。

先週の土曜日は母の葬儀で、今頃の時刻は慌ただしくしていた。
よく晴れた朝で少し寒かったが、今朝ほど寒くはなかったはずである。
日中は少しずつ気温が上がり、風にあたらなければ寒くなかった。

今日から10日間の連休と言うが、実際に連休を取れる人はどのくらいだろうか。
働く人口の3割くらいかなと思っているが・・・

電車、バス、飛行機、スーパー、コンビニ、劇場、遊園地、他にもいろいろ。
見回せば、たくさんの人が働いている・・・
それなのに連休だ連休だと大騒ぎしているのが、僕には可笑しくてたまらない。

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記 : 茄子天ぷら
昨日は母の死去に関する役所の手続きと葬儀費用の清算などがあり、少し忙しく動いていた。
その後に何軒かの店に買い物へ向かい、夕方になって帰宅してビールを飲む事にした。
買い物でちょうど良いアジを見つけたので、さっそくアジのタタキを作った。
それだけでは物足りないと思い、たまには天ぷらでも食べようと茄子も買って来た。

先日のまぜご飯では盛り付けを褒められたが、昨日の天ぷらもアジのタタキも作っただけ。
盛り付けなど気にする暇も惜しく、熱い天ぷらと冷たいアジでビールを飲んだ。



向こうに見える天つゆが多いのは、加減を間違えてしまったからである。
いちいち一人分の天つゆを合わせるのは面倒なので、ダシつゆの素を湯で薄めただけ。
つゆの素ボトルから出過ぎてしまい、ちょど良いまで薄めたら多くなってしまった。

ともかく、旨かったのはたしかである・・・
母の霊前にも供えておいたが、後で見ても食べて減った様子はなかった!
まぁ、あたり前かなと思うが。

そして今日もまた、天ぷらを食べたくなったので揚げた。
今日は天ぷらだけなので、パセリ、シイタケ、ピーマン、ナスとシソの葉も揚げた。
なお、シソの葉は別皿に置いたので、この写真に入っていない・・・



今の室温は25℃で、ビールを頂くのにちょうど良い。
時刻は16時半になろうとしている・・・
まだ早いなどと言わず、供養だ供養だ供養だっ!

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記 : 死に目
僕が人の死に目に会ったのは、父と母の時の二度である。

はるか昔に自宅で、激しく苦しみながら死ぬ父を見た。
近所の公園で一人遊びに飽きた僕が帰った自宅は、なにやら騒がしかった。
急に父の具合が悪くなって、救急車がない時代なので医師が往診に来ていたのである。
一緒にいた看護婦が泣き声で、臨終の父の体を揺すりながら名前を叫んでいた。

医師は別の薬を試そうとしたが持って来ておらず、我が家の数軒先にある薬局へ向かう母。
あいにく薬局には目的の薬が無く、布団でもがき苦しむ父は息を引き取った。
このような事の経緯から、近所では医師の見立て違いの噂もあったようだ。
しかし母は世間の噂としか思っておらず、今までずっとそうであった。

父の死から60年間も経つとは、ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。
たまたま遊び飽きて帰って目にした父の死、幼過ぎた僕には死の意味も分からなかった。
先日は入院中の母が僕を待っていたかのように、僕が到着して間もなく静かに死んだ。
それは、母が救急で入院してから20日目の午後2時半ごろの事である。
両親の死に様がこれほど違うとは改めて思ったのだが、母は苦しまなかったようで良かった。

普段から病院で死にたくないと言う母だが、今の時代にそれが叶わぬ事は本人が承知していた。
だが延命治療は絶対にしないでと、そして父の時のように揺すったり絶叫しないでくれと。
僕は母を揺すりもせず静かに看取って、ずいぶん長い事がんばったねと一言だけ声をかけた。

ところで、母はまったく死ぬつもりがなかったのである。
歳だからそう長くはないと言いながらも、まだもう二年くらいはとか。
今回の入院でも、まさか死ぬとは思っていなかったはずだ。
こんなだから、こっちが驚いてしまう。

それでもたまに、この歳で生きるのは大儀だと愚痴をこぼす事もあった。
でも寝込んでしまったらお終いだ、ご飯を食べたいから起きるのだと言っていた。
入院前の最後の昼食「うな丼」は半分も食べられなかったが、満足しただろうか。
前日の晩ごはんは大好きな「ドジョウ」を完食していたので、僕としては悔いがないのだが。



写真は入院当日に自宅で食べた午後のオヤツである。
チョコ入りパンを1/5ほど食べただけで、イチゴは口にしなかった。
ただ、微熱があるせいか無性に水分を欲しがって、何度も湯冷ましを飲んでいた。
この数時間あとで、救急車で病院へ運ばれて入院となった。
その時に僕は、母が再びこの部屋に戻る事があるのだろうかと考えてしまった。

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